タイトル 近世の流人達
小倉実起は、天和元年(1681)に父子3人で配流になった。実起らは流人ではあったが、生活は束縛されなかったので、奉行所の役人や山師、町人などに、漢詩や歌を教えたりしたという。鹿伏の観音寺には、小倉大納言実起・長男宰相公蓮の墓があり、実起の特仏といわれる「銅造観音菩薩像」がある。
満足度 △
ひとこと またいろいろ寄り道
温泉のあと、新穂のAコープで買い物をし、相川の自宅へいったんもどって荷物をおいてきた。ちょっとのんびりしすぎだろ。
そして、寺はうちからすぐ。特に中にも入らずおわり。
さぁさぁ、そろそろ本気でやりましょう〜